トレードの成績を上げたいトレーダーほど、忘れてしまいがちな相場の真実
常日頃相場と向き合っていると、感情の動きを体感します。
波打っている価格に翻弄されることも多くありません。
そんな中で感じた(というよりも自分に戒めを込めて)忘れがちな相場の真実※1について書き残そうと思います。
※1 あくまで個人の見解であるため、実態と異なる場合が大いにあります。あらかじめご了承ください。
私はこんな人↓
相場に”絶対”は絶対ない
色々な手法や分析法、投資を推奨する情報が多々行き交っています。
しかし絶対に儲かる商品や銘柄、手法なんてものは存在しません。
「”絶対”は絶対ない」というのが真実です。
「買った方がいい」銘柄の価格は下がることもある
モノの値段は高くなっていく傾向にあります。
S&P500 や NIKKEI225、GOLD、BTC も全て超長期的に見れば上昇トレンドです。
長い期間ガチホしている人の口座残高は、みるみる増えていく可能性が高いです。
とは言っても価格が上がってばかりではありません。
上昇トレンドの中でも、押し目をつけることもあれば、上げた価格を全戻しすることすらあります。
他人が「買った方がいい」と言われている銘柄を、「ポンポン買い続けて良いか」と言われれば考えものです。
思惑は人それぞれ
価格が上がることが絶対だと仮定して、相場に参加する人全員がインデックス投資で満足するのであれば、誰も相場の波が揺れ動くことに憂うことはないでしょう。
(皆が皆、インデックス投資で満足する世界なら、そもそもインデックス投資が成り立つのかが疑問ですが)
インデックスの成績に満足できない、もっと資金の流動性を上げて収益を上げたいトレーダーはたくさんいます。
私もその一人です。
相場の値段が上下に揺れ動くのは、「相場に色々な戦略をもったトレーダーが存在する」という考え方があります。
スキャルパー、デイトレーダー、スイングトレーダーなどなど、相場の流動性を上げる投機筋もいます。
我々のような個人投資家・トレーダー以外にも、機関投資家と言われる相場を動かすことができる莫大な資産を持ったトレーダーさえいます。
機関投資家の存在は、日々のトレードではあまり意識しないことであり、トレードの邪魔にすらなる考え方だと個人的には思いますが、実際に相場に存在していることは確かです。
彼らが何を考えて、相場に参加しているかは検討もつきません。
収益を上げにきていることは確かですが。(←みんなそう)
相場観は人それぞれですので、答え合わせをしようにもなかなか正解がわからない、というのが常日頃です。
テクニカルやファンダメンタルズは、ただの占いにすぎない
トレーダー誰しもが、聖杯を求める時期があります。
金のなる木を見つけようと、テクニカルやファンダメンタルズから法則性を見出そうとします。
実際テクニカルやファンダメンタルズは奥深い世界で、研究して新たなことが判明して、時には感動することが多々あります。
もしくは研究して分かったかと思えば、さらに分からないことが出てきたり、もっと探求したくなったりと研究に終わりは尽きません。
どんなに熱心に研究しても残念ながら「AだからB」のような聖杯は見つかりません。
聖杯があるとするならば
- 過去の値動きから帰納的に考えて予測する
- フィードバックを受ける
- 考え(手法)をアップデートする
というやり方が、もっとも自分だけの聖杯を作る近道だと信じて、日々トレードしています。
地道にコツコツが一番強い行動です。
上手なトレーダーは行動経済学を理解している
トレーダーは相場を分析して、ただ値幅をとるだけが仕事ではありません。
多くの時間を相場と向き合うのと同時に、自分と向き合うことに費やします。
手法や戦略だけにとどまらず、自分の成績や資金量、心身の健康とも向き合う必要があります。
心理を理解する上で個人的に行動経済学を勉強したことが、トレードで活きている気がするため書き連ねていこうと思います。
人間は合理的な選択を取ることができない
エリートで高学歴、しかも論理的に考えて話すことが得意な人でも、”なぜか” 非合理な行動をしていることがあります。
例えば不倫をしていたり、宝くじを買っていたり、適用される事例が起こる確率が低い保険に入っていたりします。
上記で挙げた件は人間である(感情がある)からこそ行なっていることであって、外野の人から見ると、とても非合理な行動であると思えます。
当事者からすると、合理的な選択をとっていると錯覚していることも少なくない。
バイアスや感情があるからこそ、不安になったり、刺激を求めてみたりしてしまうというのは、受け入れ難いですが事実でもあります。
私自身も過去に、フルレバ・フルロットのスキャルピング・ギャンブルトレードをやっていた過去がありました。
まさに背水の陣の精神。
勤めていた会社からの給料を、証券会社に横流しにしていました。笑
早くリッチになりたいからこその行動で、検証や確証もないままの感覚トレードではなかなか利益を積み上げられなかった苦い過去です。
当時は本気で合理的な行動をしていると思っていましたが、上手くいかない期間が長く続いてようやく行動を変える必要があることに気付いた次第です。
気付いていない合理的な行動には、一度きりの人生ですので、一刻も早く気付いていきたいところです。
含み益が減るのは辛い
常日頃相場と向き合っていると、損をすることも利益を得ることもあります。
値動きを予測できて、過去からの経験から期待値が高ければポジションを取ります。
ポジションを取ってから、早いところポジションを解消できれば良いですが、なかなか思うようにいかないことはたくさんあります。
- はじめは上手くいきそうだったけど、価格が戻ってきて損切りした
- ストップにかかってから予測した方向に価格が進んだ
- ポジションを取った瞬間にストップにかかった
- 利確まであと1pips のところで反転した
本当にいろんなことが起きます。
理不尽なことが本当にたくさんあるんです。
コツコツ貯めていた利益が吹っ飛ぶことも、時には何連敗もして損失ばかり出すことも。。。
何よりも一直線にストップに引っかかることよりも、含み益が出ているポジションがいつの間にか含み損を抱えているとなると、かなり動揺してショックを受けます。
プロスペクト理論からなる心理的な動きで、ダメージがでかい。。。
まあ含み益が減ることは日常茶飯事ですので、入り口〜出口までの戦略にしっかり沿ったトレードをすることで、精神的なダメージを和らげています。
「なるようにしかならないし、諦めも肝心」という精神性で生きています。
心理的な理由からのトレードは、次回以降にも影響する
これは割とやってしまいがち。。。自分でもかなり注意が必要です。
予測しない出来事に直面すると、焦ったりパニックになります。
人によってパニック時の程度の差はあれど、心理的な動きは必ず起こるものです。
目の前の値動きに翻弄されて追っかけたくなったり、ポジションを手仕舞いたくなったりすることなんてたくさんあります。
しかしトレードをする以上、自分の相場観からなる戦略に沿ってポジションを保有することが不可欠です。
心理的・感情的な理由起因の行動は破滅への道が開かれます。
これは本当に肝に銘じて起きたいし、心の底から理解したいものです。
特にMAXの含み益から半分になったりすると、とっとと手仕舞いたくなる。。。
(利確サインが出ていたり、トレードを続ける上ではそこで手仕舞うのもアリではあると思います。)
相場は生き物ですから、エントリー時の状況からポジション保有中に事情が変わることは大いにあって、その場の状況で判断することができるようになることが理想です。
ただ、含み益が減っている状況で相場を正しく分析することができるでしょうか?
間違いなくプロスペクト理論から考えると精神的ダメージを負っていて、バイアスがかかった判断になります。
(プロスペクト理論が必ず正しい、とも限りませんが)
自分の相場観は、
「相場はランダムウォークしていて、予測することは不可能。」
まじで悲観的です。
「予測できない」と諦めた方がいいと感じることが多々あります。
そのため天才トレーダーでもない限り「SL、TP(or利確サイン)までは持ち続ける」ことが相場で生き残り続けるカギだと思っています。
未来は誰にも分かりません。
「最初のエントリー根拠を出口まで貫く」
というのが現在の私のスタイルです。
【まとめ】ゴール設定を明確にする
トレードを続けていると、時折儚く感じることがあります。
ランダムウォークする相場に、期待を裏切られ続けることなんてとてもとてもあります。
(大事なことなので2回言った)
積み上げた利益が飛んでしまうと、今までの行動が無駄であったかのように思えてしまうからです。
心理的にも資金的にも毎回全力で真っ向から相場と向き合っていると、疲弊してしまいます。
私はかつて疲弊して、2度トレーダーを引退しました。
でも結局戻ってきました。
チャンスを掴むことを諦めきれなかったからです。
相場は常日頃動いていて、いつかは分かりませんが何度でもチャンスが訪れます。
そのいつ来るか分からないチャンスをモノにするために、相場と向き合い続ける必要があります。
期待値の高いと思われる行動を取っても、決して大きく張りすぎない。
積み上げた利益を守ること。
トレードは利益を上げて、出金することがゴールです。
予測を当てることがゴールではありません。
積み上げた資金を守るべく、期待値の高い行動を取り続けて、ある程度まで利益を出せたら出金する。
これこそがランダムウォークする相場で生き残るための、アクティブトレーダーの処世術であり、ご褒美・ゴールがあることによって報われた気分になるのではないでしょうか。